エンジンの音だけが、朝の空気を切り裂いていく。
バックミラーには、もう戻らない街と、昨日までの自分。
僕は今、バイクで日本一周の旅に出ている。
会社を辞めた。すべてを手放して、ひとり旅に出た。
理由は簡単。「このままで終わりたくなかった」からだ。
初めての出発は、春だった。
桜が咲き始めた関東の片隅から、北へとハンドルを切った。
寒かった。
信号のない峠道、吹きすさぶ風、しびれる指先。
けれど、そのすべてが新しかった。
「こんなに世界は広かったんだ」
それが、東北の海沿いを走ったときの率直な感想だった。
北海道では野生のキツネに出会い、
九州では温泉で地元のじいちゃんと朝まで語り合った。
四国では、沈下橋の上でしばらくエンジンを切り、ただ風に身を任せていた。
旅は、自由そのものだった。
時間に縛られず、誰にも気を遣わず、
好きな道を、好きなだけ走る。
でも、それは同時に「孤独」でもあった。
コンビニの駐車場でひとり食べたおにぎり。
キャンプ場の隅でテントを張り、夜空を見上げた夜。
誰にも話しかけられず、声を出さずに1日が終わることもあった。
SNSで旅の写真をアップしても、
誰かの「いいね」がつくたび、心が少し寂しくなった。
「いま自分は、誰の記憶にも存在していない気がした。」
それでも、旅は続けた。
なぜなら、その孤独の中に、
本当の“自分”が顔を出す瞬間があったからだ。
自分がどれだけ臆病で、
どれだけくだらないプライドを抱えていたか。
誰かに認められたくて、強がっていたか。
旅は、そういうものを全部むき出しにしてくる。
ある日、岐阜の山奥で出会ったライダーが言った。
「バイク旅は、逃げた先に答えがあるんだよ。」
最初はよくわからなかったけど、
1年かけて、少しだけ意味がわかってきた気がする。
日本一周を終えて戻ってきた僕は、同じ街を見ても、以前のようには見えなかった。
人混み、満員電車、機械的な会話。
そこに「違和感」を感じるようになっていた。
でも、それは悪いことじゃない。
旅の途中で見つけた「心地よさ」や「ありのままの自分」を、
日常に持ち帰ることができたから。
今でも、たまにバイクに跨がると、
あの日の感覚がふっと蘇ってくる。
夕暮れの国道、旅先で食べたラーメン、知らない人とのたわいない会話。
日本一周は、ゴールじゃなかった。
あれは、人生をリスタートするための“準備運動”だったのかもしれない。
もし、今あなたが何かに行き詰まっているなら、
バイクじゃなくてもいい。
歩きでも、自転車でも、バスでもいい。
とにかく、日常を飛び出して「自分の足で世界を感じてみてほしい」。
道はいつだって、あなたを試してくる。
でも、そのぶん必ず「何か」に出会える。
それが、誰かとの出会いなのか、
自分との再会なのかは、走ってみてからのお楽しみだ。