カリッ。
フランスパンをかじる音が、静かな部屋に響く。
テレビもつけていない。
スマホもテーブルの端に置いたまま。
音のない朝。
ただ、私とフランスパンの存在だけが、ぽつんとそこにある。
スーパーで買った、少しだけ高めのフランスパン。
昨日、なんとなく惣菜パンを選ぶのが嫌になって、
気まぐれに手に取った。
「たまにはこういうのも、いいかもしれない」
カゴに入れる瞬間は、ちょっとだけ背伸びしたような気持ちになった。
家に帰って袋を開けると、
思ったより長くて、思ったよりゴツゴツしていた。
「これ、1人で食べきれるかな」
でも、そんな不安も、朝になったらどこかに消えていた。
朝、軽くトースターで焼いた。
表面がパリパリになって、
バターを少しだけのせて溶けるのを待った。
カリッ。
その一口目の音と、鼻に抜ける香ばしさに、
少しだけ「あ、当たりかも」って思った。
ひとり暮らしをしてると、
朝ごはんってどんどん手抜きになる。
コンビニのおにぎり、食パン、シリアル、ヨーグルト。
それはそれで悪くないけど、
「噛む」ことに集中する朝って、あまりなかったなと思った。
フランスパンは、噛まないと飲み込めない。
顎にちょっと力がいる。
だから自然と、ゆっくりになる。
咀嚼している間、他のことは何もできない。
それが、思っていた以上に心地よかった。
食べながら、ふと思った。
「誰かと食べるなら、これはちょっと食べにくいかもな」
口の中でバリバリ音がするし、
こぼれるクズも多いし、
何より、何か話そうとしても噛んでる時間が長すぎる。
でも、ひとりで食べるなら、全然気にならない。
自分のペースで、静かに、ただただ“味わう”。
バターの代わりに、はちみつを垂らしてみた。
それも悪くなかった。
ちょっと贅沢な朝ごはんっぽくて、気分が上がった。
紅茶を飲みながら、残りのパンをちぎって、口に入れる。
ふだん気にもしなかった“食べること”が、
こんなに丁寧で、こんなに穏やかな時間になるなんて。
「1人で食べるフランスパン」って、
誰にも語られることのない出来事かもしれないけど、
私にとっては、
この朝を豊かにしてくれた、ちゃんとした“イベント”だった。
スマホの通知が鳴った。
でも、すぐには見なかった。
あとでいいやって、そう思えた。
食べ終わったあとの静けさは、
満腹感とはまた違う、
“満たされた感じ”だった。
今日はいい一日になるかも、
そんな予感すらした。